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ホンモノ探し

「続・悩む力」 姜尚中著

悩む力に引き続き、続編が出版された。

その中で“ホンモノ探し”について書かれているのだが、
現在「第三次ホンモノ探し」が起こっているらしいのだ。

自分自身を探求するアイテムは確かに巷にあふれている。
そして、“今”の自分は決してホンモノの自分ではないという。

「私の今の姿は違うんです。本当にやりたいこと、本当に生きたい姿勢は今の私ではないのです」

そんな言葉もそういえばよく聞く。

ということは今ここにいる自分はニセモノということだ。

こりゃ大変だ。。。

ニセモノと毎日付き合っているとしたら、ホンモノの自分になるためにどうしたらいいものかとあれやこれやと悩む日々は続くだろう。

社会の中でホントウにやりたい仕事ではないものをホントウでない自分が演じているとしたらそれはそれは苦しい日々だ。

そのうち仕事が出来なくなったり、日常生活が送れなくなっていくのかもしれない。


ホンモノの自分ってなんだろう?

未来に描くホンモノの自分。

こんな風になりたい。
こんな風に生きたい。

未来の自分を見つめる自分は第三者的だ。

でも未来の自分を作るのは“今”の自分であって、ニセモノはホンモノにはなり得ない。

蟹カマは未来も蟹にはなり得ない。
レバ刺風蒟蒻は未来もレバ刺しにはなり得ない。

“今”の自分がコツコツ生きた結果が未来の自分。


過去の自分を振り返った時、出会った出来事、出会った人々どれも無駄だと感じるものはない。
と感じるのは私だけだろうか?
楽しい思い出も苦しい思い出も、あーーあれがあったから今の自分が成り立っているんだなぁーとつくづく感じる年頃だ。


「ホンモノを探せ」と叫び、私たちをあおっているのは誰なのでしょう。それは資本主義です。このスキのない魔物のようなシステムは、「商品となるもの」を見つけ出して利用するのが、とてもうまいのです。ことに“不安”の匂いのするものを利用するのが、とてもうまいのです。


今の自分が嫌い、今の自分が本来の姿ではない

と嘆くよりも、今の自分を愛おしんであげたら明日はホンモノの自分に出会えるかもしれない。



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怪力乱神

少し前に東洋脳×西洋脳 多極化する世界で生きるヒント 茂木健一郎+加藤徹
を読んだのだけれど、脳科学者と中国文化者 二人の対話は実はあまりしっくりこなくて、
ついていけてなかった(-_-;)のだ。

     20110524touyounou.jpg


ついていけていないのだけれど、加藤徹さんの話は何か魅かれるものがあってその後に読んだのが

怪の漢文力 中国古典の想像力 加藤 徹 著
本の帯には“よみがえる「怪力乱神”の世界
なんておどおどしたメッセージが・・・


     20110524kaino.jpg


漢文なってものは「授業で受けた」という記憶だけで、「勉強した」という記憶がない。。。(^_^.)

が、この加藤徹さんの『怪の漢文力』は、かなり面白かった。

一部抜粋して
天人相関説

古代中国人の宇宙観では、「天・地・人」の「三才」の気の流れは互いに連動していた。人間も気を発する。政治・経済・文化の営みから発せられる「人気(じんき)」は、天地の気の運行にも干渉する。悪政を行うと、人気の乱れが天気と地気の乱れを引き起こし、異常気象や地震などの異変が起きる。このような自然認知を「天人感応説」もしくは「天人相関説」という。

天地之合和、陰陽之陶化万物、皆乗人気者也。是故上下離心、気乃上蒸。君臣不和、五穀不為。

天地が調和し、陰陽のサイクルが万物を育むのは、すべて人の気によってそう動くのである。そこで、人間界の上流と下流の心がたがいに離れてしまうと、自然界の気も上にのぼったままになってしまう。君主と臣下が不和だと、五穀も実らなくなる。


これは紀元前に書かれたものであるのに、今の世の中に向けて発せられているかのようですね~

古代中国の人々は一月から十二月まで、天子や役人が行うべき政務や行事について具体的な指示を出していた「月令」というものがあって、一月にはあれだこれだとその時期にあった行いが決められていたようです。
春は新しい命を育む時期なので、土木工事や戦争を自粛するなどなど。。。。

現代では土木工事をやっていない時期なんてものはないだろうー

仕事場周辺でもあっちのガァーーーーーが終わったと思ったら、こっちでギィーーーてな具合。
こんなにここうるさかったかと最近感じる。(工事が年々増えているのではないかしらん)

古代中国では大自然が天のサイクルのタイミングを完璧に守るのだから、人間も「礼」をもって大自然のサイクルの善意に答えねばならない。と考えていたようです。

こうして、古代の人々は健やかな生活を送っていたのね~

と思いつつ、ふと、こうして文献として残っているということは、やはり誰かがそれを皆々に提唱していかなければ、乱れてしまうということだったのかな?
などと考えたりもする。

数年前に「どげんかせねばいかん」(合っているかな~?)と言って地方知事になった人もいるけれど、いつの間にやらニート(失礼(-_-;)どこかの番組で言っていたような)になってしまったし。

統率する方向がそれてしまったら、怪しい宗教みたいな感じもあるし。

情報が発信しやすい分、正しいものが伝えられない世の中になっているような気がします。

少なくとも日本の人気は乱れています(p_-)

一章 人体の迷宮
二章 霊と肉の痛み
三章 変身と幻獣
四章 性と復活の秘儀
五章 宇宙に吹く風

あとがきに漢文は死者の言語である。
と書かれているけれど、どの章も興味深く書かれています。

加藤徹さんのお顔を拝見して(本表紙で)、何か魅かれるものが・・・

中国古典からの発想
絵でよむ漢文

を引き続き購読中です(^○^)

遠藤周作展

神奈川近代文学館にて遠藤周作展を開催中です。


今回の企画テーマは「沈黙」だそうです。

なので、行く前に私も「沈黙」を読み直しました。
前に読んだのは随分と前だったと思います。(^_^.)
なので、そうかそうかと初めて読んだかのようでした。

「沈黙」はキリシタン禁制時代、ポルトガルの司祭が日本に潜入し、隠れていた信徒と出会い、別れ、その都度悩み苦しみ、最後には踏絵を踏むに至る物語。


311震災後、聖書を出してどこからともなく読み返したりしていたのだけれど、単純に「神様って怒るんだっけ?」


「沈黙」の中で、ロドリゴ司祭は弾圧される信徒を横に何度も神に助けを祈る。
が、神は沈黙したまま、救いは現れず、信徒も一緒に潜入した司祭までも死を迎えることになる。


そして、自分の信仰の為にこれ以上信徒への弾圧には耐えきれなくなったロドリゴは踏絵に足を載せることとなる。


司祭は足をあげた。足に鈍い思い痛みを感じた。それは形だけのことではなかった。自分は今、自分の生涯の中で最も人間の理想と夢にみたされたものを踏む。この足の痛み。その時、踏むがいいと銅版のあの人は司祭に向かっていった。
踏むがいい。お前の足の痛さをこの私が一番よく知っている。踏むがいい。私はお前たちに踏まれるため、この世に生まれ、お前たちの痛さを分かつため十字架を背負ったのだ。
こうして司祭が踏絵に足をかけた時、朝が来た。鶏が遠くで鳴いた。
「沈黙」遠藤周作著




なーんだ、やはり神はいないのだ。


信仰の厚いカトリック教徒だった遠藤さんも、結局は神は苦しみからは救ってくれないと言っているのか?

と思わせてしまうような終盤。



なのだが、やはり人間は弱い、それを知る神が使わしたのが、イエス・キリストであり、キリストはすべての罪を私が十字架に掛かって償ったのだから、いいのだよ。踏絵を踏んでもいいのだよ。あなたは信仰を裏切ってはいないよ。私はあなたの痛みをわかっているから大丈夫だよ。

神はいつも寄り添い、苦しみも嘆きも共に感じ、寄り添っている。


この「沈黙」で伝えていることは、「寄り添うこと」の大切さだという。


苦しみや悲しみ、試練がない世の中はないし、それをクリアして乗り越えていくことが生きることだともいう。
祈れば願いが叶うとか、今では○○すれば願いは次々と叶います!なんてお願いグッズもたくさんあるけれど、神様は願いをかなえてくるものではない。

寄り添ってくれる人のいることで救われることがきっと身近でもあるはず。
そして、寄り添ってくれる人に神の姿を感じることもきっとあるだろう。


孤独にパソコンや携帯とにらめっこになっていた時代に、隣の人に寄り添うことの大切さを今学んでいるような気がする。







続きを読む

読書感想

前回私の読み物に入っていた『上弦の月を喰べる獅子』上・下巻はあっという間に読み終わった。
最初はよくわからないし~(-_-;)あまり好きじゃないかも~
なんて思っていたのに、上巻の途中からぐんぐん読み進み、あっという間に下巻も終わり・・・

面白かった(^○^)
というのだろうか?

夢枕獏さんという作家の頭の中ってどうなっているのかしらん?
と思うような作品だった。

気になる方はぜひぜひお読みください


この本に描かれる螺旋が語るものにひどく惹かれ、仏教的な思想がちょっと難しいけれど、なるほど。
と思わせる。



私が子供の頃熱を出すといつも見ていた夢(毎回同じ)に出てくるのが螺旋だった。
しかもカラー。
何が?かはわからないけれど、ものすごく恐怖感でうーーー(=_=)とうなっていたのではないかと思う。

もしかしたら、高熱の中で私も螺旋をさまよっていたのかもしれないわね~


この後、ふつうなら夢枕獏さんの本を読み漁る行動に出るはずなのだけれど。

この本はそれまでに書かれていた本が彼に“伝奇バイオレンス”というレッテルを張り付けられたイメージを別のベクトルを持った物語を書き上げることで引きはがそうとしたものであったこと。

何度か、この物語を中断しようとした時に、もし、誰か、ぼくよりこの物語にふさわしい書き手がいるのなら、その人間にこの物語を書き綴る役をかわってもらいたいとさえ思った。その方が、この物語のためだからだ。
物語にとっての幸福と不幸は、その物語が書き手を選べないということだ。とんでもないベクトルを秘めた物語がこの世に生まれようとしている時、書き手が、そのベクトルのもつエネルギーについていけなくなってしまうけーすもあるのである。
しかし、その時、その書き手の変わりになるような書き手はこの世に存在しないのだ。
この『上弦の月を喰べる獅子』という物語にとって、ぼくは、この宇宙で唯一無二の書き手であったのである。
(次の螺旋の輪廻のためにより抜粋)


とあるので、どれだけのエネルギーをこの本に注いたのだろうかと最後夢枕獏さんの言葉を読んでいて、少し呼吸が苦しくなってしまった(=_=)

というわけで、私の中では夢枕獏さん=「上弦の月を喰べる獅子」で今回は終わらせることとした。


次は津村節子さん著 「紅梅」

すでに読み終わってしまったので、感想はまた後日。。。。

吉村昭さんが好きな方はぜひ、読まれるといいですね。

節電のおかげ

気が付けば、桜が開花
満開になる咲きだしの頃が好きだな~(*^_^*)

さてさて、細やかながら節電生活を送っているが、意外といらなかったものってあるのだと感じている。

照明もスタンドだけで結構いい感じ。
パソコンしながらテレビをBGMにしていた自分に反省(p_-)。
ちょっと冷えるとつけていた暖房もなければないでやっていける。
夜な夜な見続けていた録画物(海外ドラマが好きな私)今は一日一本。

てなわけで何をしようか?

地震後からは久しぶりにちょっと遠ざかっていた並行読書が始まった(^_-)

現在は

        20110407bsentaku.jpg
『選択の科学』 シーナ・アイエンガー著

        20110407bservice.jpg
『サービスの天才たち』  野地 秩嘉著


        20110407bjyougen.jpg
『上弦の月を喰べる獅子』上・下巻 夢枕獏著


あまりにもジャンル違うよな~
この中で『上弦の月を喰べる獅子』上・下巻はいつもなら選ばないタイプなのだが、なんか気になって、一度会計を済ませてから戻って買ったもの。
SF大賞受賞作ってあったけれど、SFってイメージではないかな。
なかなか面白く読み進んでいる。

最近電車通勤がなくなったせいかな~本を読むことが少なくなってきていたけれど、
節電がいい機会を与えてくれたみたい(^。^)

ではでは今夜も読書タイムに入ります\(◎o◎)/

プロフィール

Tomomi

Author:Tomomi
横浜のはり灸師の日々オフブログ。

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